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具体随一のパフォーマンスを行う作家「嶋本昭三」とは

Vento d'Oriente, Certosa di San Giacomo, Italy, 2008

具体美術協会に関して発行された書籍『GUTAI STILL ALIVE 2015 vol.1』をデジタルアーカイブとしてお届けするシリーズ企画。第17回目は、具体美術協会の設立時メンバーのひとりであり、パフォーマンス主導かつ壮大なスケールの創作で時代を先駆けた、嶋本昭三を取り上げる。美術評論家の木村重信が、嶋本が行ってきたパフォーマンスをその特徴とともに紹介する。


奇抜な発想と激越なパフォーマンス

木村重信
(大阪大学名誉教授・美術評論家)


1954年結成の「具体美術協会」はその初期、スキャンダラスなパフォーマンスによって知られた。米国の「ライフ」誌が取材に来日し(1965年)、パフォーマンス(ハプニング)の創始者といわれる米国の美術家A・カプローは「世界で最も早くハプニングをおこなったのは“ 具体” の作家たちだ」といった。足で描く白髪一雄やカンヴァスに塗料を流す元永定正ら、「具体」メンバーの先躯的なパフォーマンスのなかで、最も激越だったのが嶋本昭三である。

1965年の第二回具体野外美術展で、嶋本は長さ四メートル、口径30センチの鉄管に袋入りの絵具をつめ、アセチレンガスの爆発で発射して、10メートル四方の赤いビニールシートに吹きつけた。いわゆる「大砲絵画」である。これはその後、絵具をつめた瓶をカンヴァスの中央に置いた石に投げつける方法に展開する。その最大のイベントは2000年三月にフランスでおこなわれた。内外の数百人の作家たちに絵を描いてもらった同年一月一日の新聞を、ディジョンの城の庭にひろげ、その上に、絵具をつめたプラスティック製コップを空中20メートルの気球から投下した。

このほか、彼はカンヴァスを切り裂いただけのタブロー(L・フォンターナに先んじる)、謄写版による同一記号の反復絵画(G・カポグロッシよりも前)などを次々に発表し、M・タピエ(アンフォルメル絵画を主唱したフランスの批評家)をして、「嶋本ほど“ 具体” を感じる作家はいない」といわしめた。

嶋本に『絵筆処刑論』(1957年)という文章がある。「えのぐが歩んで来た道は……青春をすりへらして行った女工哀史にも似た長い絵筆への挑戦の歴史に他ならない。……僕は先、えのぐを絵筆から解放してやるべきだと思う。……絵筆を捨ててはじめてえのぐは甦るのだ」。この文章のタイトルの「処刑」は「無用」よりもはるかに否定の意味が強い。そしてそれは吉原治良『具体美術宣言』(1965年)と完全に相蔽う。吉原はいう。「物質は精神に同化しない。精神は物質を従属させない。物質は物質のままでその特質を露呈したとき物語りはじめ、絶叫さえする」。

嶋本は美術には三つの種類があるという。美しいと感じるもの、つまらぬもの、気にかかるもの、である。彼によると、気にかかるもののなかにこそ「未知の美」がかくされている。かくして彼は非芸術の領域に新しい芸術を求めて造形的実験を重ねるのである。

美術だけでなく、彼は音の世界にも手をのばした。例えばテープレコーダーの回転をうんと速くして、いろんな音を拡大したり縮めたりして録音し、そのテープを更にこまぎれにして継ぎあわせて再現した。それは新しいミュージック・コンクレート(具体音楽)の探求であった。

これまでの美術では、外的対象と内的観念の別はあっても、物質(マティエール)はそれらを表現する手段として用いられた。しかし嶋本の場合、自然対象はもとより、観念や構想などの内的な要素も捨てられ、マティエール自体が表現となっている。つまり、マティエールはそれ自体で完結し、それを支える何らかの対象や観念があるわけではない。彼の作品が即物的性格を強めて、「こと」の表現よりも「もの」の形成に傾くのはこの故である。「こと」の描写は視覚的であり、「もの」の形成は触覚的である。触覚は「もの」そのものを感覚し、視覚は「もの」の表面を感覚する。このように触覚はつねに現実感覚としてマティエールに結びつくが、視覚は仮象をとおして形式に結びつく。絵画を単なる静観の対象としてでなく、生命の表出と考える嶋本が、視覚より触覚を、「こと」よりも「もの」を志向するのは、当然のなりゆきである。

1972年、具体美術協会は主宰者の吉原治良の死によって解散する。それにともなって嶋本は「アーティスト・ユニオン」を結成して美術活動を続行するとともに、76年頃からメール・アートに取り組み始める。メール・アートとは、郵便を利用してアートを送付相手に発表する形式で、コンセプチュアル・アート(概念芸術)の一種である。スルメなどの特異なものに切手を貼った作品などが登場し、話題になった。

嶋本は各国の国王や大統領に、剃髪した自分の後頭部写真を送り、その上に平和のメッセージを書いて返信してほしいと求めた。スペイン国王やフィリピンのアキノ大統領(当時)から返事がとどき、週刊誌に取り上げられた。

嶋本の奇抜な発想や誇大なパフォーマンス、派手な自己宣伝は、一部の人から非難される。しかし国際美術界の第一線でたたかうには、それらが必要なのである。彼はその日本人離れした言動によって、閉鎖的な日本美術界に風穴をあけ、国際化への道を開いたのである。

(月刊ギャラリー12月号2013年に掲載)

“具体美術協会”の詳しい紹介はこちら »

本記事に掲載されている情報は発行当時のものです。現在の状況とは異なる場合があります。

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